二宮では星や月にまつわる様々な季節行事があります。
その中に昔二宮の梅澤海岸で行われていた紙の着物を使った珍しい七夕がありました。
この七夕を再生しようと夏休みに「walkwalk(ワクワク)こどもふるさと探検隊」としてチャレンジしています。この七夕と活動を紹介します。
私は弟橘媛(オトタチバナヒメ)。
二宮の珍しい七夕が行われていた梅沢海岸の「梅沢」という地名と縁が深いので、七夕物語の案内役を務めます。
夫の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の途中、三浦半島走水から海路上総に渡ろうとすると、突如として暴風が起こり、私、弟橘媛(オトタチバナヒメ)は海神の怒りを鎮めるために海中深く身を投じました。
その後櫛が海辺に流れつき、それを埋めたところが、埋め沢で、その後「梅沢」という字を充てたと伝えられています。そして、私と夫を祀っているのが吾妻神社です。
二宮の海岸は、袖が浦(そでがうら)海岸といいます。袖が浦海岸という名前は、私の着物の袖が流れ着いたとの伝説に基づいています。
そもそも七夕は、「たなばた」と読み、古くから行われている日本の季節の変わり目などを祝う年中行事の「節句」のひとつです。
一年間の重要な「節句」をあらわす「五節句」(一月七日の七草、三月三日の桃、五月五日の端午(たんご)、七月七日の七夕、九月九日の菊の節句)のひとつにも数えられています。
七月七日、あるいはひと月遅れの八月七日、あるいは旧暦の七月七日(年によって日は変わります)夜に、願い事を書いた短冊や竹飾りを笹につるし、星にお願いをする習慣が今も残っています。
二宮の珍しい七夕
二宮町の梅沢海岸あたりの浜で戦前まで県内でも珍しい七夕がひと月遅れの八月七日に行われていました。
小学校の低学年にあたる幼い女子たちがミニチュアの物干しに紙の着物を吊るし、水をかけるということをしていたそうです。
県内では珍しい、この七夕の一式は県立博物館に復元したものが収蔵されていますが、今では行われていません。
珍しい七夕の内容
女子たちは、前日の八月六日に柳の二股の小枝を切りに釜野のあたりに行ったそうです。
家で七夕飾りを作って、飾り、そのとき、短冊用の紙で切り抜いた織姫・彦星の男女一対の着物を作っておき、柳の小枝も一緒にバケツに入れておいたそうです。
翌八月七日朝、近所の女の子たちと誘い合い、バケツを持って浜に出かけました。
そして、柳の二股の小枝で物干しを組み、紙の着物を掛けたそうです。
海水をくみ上げて里芋の葉の上に入れておきます。
枝の棒先に麻を房のようにつけたはたきのような道具で里芋の葉にくんだ海水につけてたたき、紙の着物に水をかけながら習字や裁縫の上達を祈ったそうです。
その時に「七夕さまよ七夕さまよ、一に短冊あげますほどに、この手をあげてくださんせ、くださんせ」と歌い、誰の紙の着物が早くぬれ落ちるか競いあいました。その後、海に流したそうです。
昔二宮の海岸で行われていた紙の着物を使った珍しい七夕に、小学生の子どもたちが地元の人、二宮竹の里のみなさんとふれあいながらチャレンジ。
季節行事の七夕や二宮の特産品のみかんの郷土の食を知り、体験を通した絵日記を描き、地元の伝統や生活文化を知ってもらいました。
《1日目》
七夕のお話、紙の着物と七夕飾りづくり
《2日目》
七夕、みかん青摘み体験、七夕料理づくり、流しそうめん
《3日目》
七夕体験絵日記